K君との会話の後
ぼくは、いつからFXに興味をもったのか振り返ってみた。ここで一番始めのブログで自己紹介は後ほどと書いたがここで回想により、自己紹介も兼ねたい。

ちょうど世は、バブル絶頂期、マハラジャやロカビリーのケントスが盛り上がり、不動産バブルに株価は最高値を更新
日本企業が美術品を買いあさり、ニューヨークのロックフェラーも手に入れる時代にぼくは、地方の国立大学の経済学部の学生でした。
今は、全く役に立たないマルクス経済学を学び、日本の終身雇用、持ち株会社制度が世界にもてはやされ、日本の赤字国債が0になったころだった。
ゼミはなぜかミクロ経済学だが卒業論文は日本の投資理論と破茶滅茶で内容も全く記憶にない。
モトクロスバイクに夢中になり休みはツーリングと冬はみんなでスキー合宿。ちょうどわたしをスキーに連れていっての映画や荻野目ちゃんの歌がはやっていた。

銀行に就職すれば30歳になれば1000万円以上貰えるという時代に。なぜか県警の試験を受け一次試験に合格した。当時オートバイが好きだったこともあり白バイに安易に憧れていたのかもしれない。
ただ、周りの受験者がぼくよりもひと回りも2回りも身体がでかかったのが気になっていた。
世は、バブル絶頂期であり当時は公務員のなりてが少なかったことからわたしの下宿に是非警察官になってくれと何度も警察官の方が来られた。当時は企業が内定者を研修旅行という名目で囲い込んだ

この就職するのに好機だったにもかかわらずわたしは、警官の試験と後に勤めることとなるブラック企業の大手ハウスメーカーしか受けなかったのである。
何て浅はかで愚か者なのでしょう。

しかも警官の面接試験は、ちょうど夏休みに北海道一周のオートバイでツーリング。バイクは懐かしのサルペケ 単気筒エンジンのSRX
この時、嵐に遭遇のた面接試験を断念
先ほど書いた周りのやつの身体がやけにでかいのが気になっていたのかもしれません。軽い気持ちでハウスメーカーでいいかなとおもってました。
ボーナスはなんと脅威の春、夏、秋、冬の10.55カ月 ここでそんな甘い話しに乗ったぼくが愚かだった。
面接は、酒はどのくらい飲めるかとか、徹夜は何日できるかてかアホな質問ばかり、こちらも酒はいくらでも飲めます。徹夜は3日は出来ますとアホな回答。
もともと地方国立大学なのでその地方では、試験も上位の成績だったとか。
しかし、普通ブラック企業と気づくだろうと、大学時代のぼくは、思考停止状態にあり猿に近かったと思う。

ともあれこのハウスメーカーに10年以上お世話になることになった。

勤務地は九州の福岡。
初出勤の日に借り上げ社宅に連れてってもらった。
なんと昼間なのに先輩2人が寝ている。
さぼっている。 
途中で先輩が目を覚ました。
するとおもむろにエレキギターを弾きだした。ヘビーメタルだ。
ぼくも大好き。ラウドネスに44マグナム
先輩と一気に意気投合した。
しかも先輩は2年目なのにポルシェにのってる。お客様のところに訪問するにもポルシェだった。しかしポルシェは乗りごこちが悪い。
それから入社してから何年間は、朝出勤し、すぐ外出し、若手社員みんなで会社近くの喫茶店でモーニングを食べ、昼寝しに借り上げ社宅に帰り夕方会社にもどり、夜10時頃まではたらいた。
当然、営業成績は、上がらず。上長にパワハラを受けた。そのパワハラがきつすぎてまたモーニングからの昼寝、成績が上がらずパワハラを受けるのデフレスパイラルを繰り返した。
先輩のなかにはパワハラの影響で出社拒否になったものもいた。

そうこう営業活動を続けているうちに
アパートを建てていただいたオーナーにオーナーの甥っ子を紹介してもらった。
後にアパートをとりあえず契約〈契約金を入れていただいてまさしくとりあえず契約してもらう。キャンセルはいつでもできますよ。〉してもらうがやはり後にキャンセルになるのだが
この甥っ子が時代はITバブル時代に株が大儲けし、後にバブル崩壊にあいひどい目にあっていたのに遭遇したのが直接ではないにしろ株取引というものに出会った最初かもしれません。

・・・・怒濤の転勤、転職編に続く!